中期経営計画は変わったのに、目標が“昨日のまま”だからだ。
▼人を育てるとは、未来から逆算すること
ぼくは、人財育成プロジェクトを描くとき、必ず中期経営計画を深く理解するようにしている。なぜなら、絶対ではないにせよ・少なくとも、組織は中期計画を実行するために人を育てると思っているから。
だって、「人を育てたいから育てる」なんて組織は、まず存在しないと思いますし、目的なき育成ほど、無駄な投資はないとぼくは思う。
だから、中期経営計画から逆算して設計する。
もう少しいうと、育成とは「目指す未来から現在を逆算する仕事」だと捉えています。
なので、部長ならこの領域をこのレベルで。
マネジャー、5年目・3年目・1年目ならここまで。
そんなふうに到達すべきラインを考え、設計していく。
▼現場に漂う“低すぎる目標”という違和感
でも、最近どうにも引っかかっていることがある。
それは、現場で特に若手に課せられている目標が、あまりにも低い。低すぎる。
中期経営計画が変わっても、個々人に課せられる目標は変わらない。
だから「これまでと同じで良いのでは?」と考えている管理職に出会うたびに思う。
『それ、もはやマネジメントじゃなくて惰性の維持管理だろう』って。
▼“研修”と“現場”のズレが成長を鈍らせる
研修では「100メートルを11秒で走れる力をつけよう」としているのに、
現場では「15秒で十分」と言っている。
ここで言いたいのは、どちらが正しいかではないんです。研修は未来に向けた成長シナリオとして設計され、現場は現実の制約を見据えて動いている。
どちらも“正しい”。
ただ、その二つが噛み合っていないことが問題だと思っているんですよね。
だって、そのズレの中で若手は迷うと思うんです。
「どっちの基準で走ればいいんですか?」と。
そして、その迷いこそが、成長速度を鈍らせる要因になる。
また、上司は平然と言う。
「現場は現場でいろいろあるからね」
それを“現実”と呼ぶか、“逃げ”と呼ぶかの違いだけでしょって、そう感じることもある。
▼戦略が薄い組織に、深い育成は生まれない
さらに、低い目標を課せられている部門の戦略を見てみると、やはり薄い。
戦略というより、残念ながら、もはや“願望の羅列”。
「持続的成長」「人材活用」「顧客志向」。どこかで聞いたような言葉と意気込みばかりが並んでいる。そんな抽象の海で泳いでいたら、そりゃあ部下に課す目標も浅くなるよね、って変な納得をしてしまう。
要するに、戦略が曖昧なら、育成も曖昧になる。
▼育成の前に問うべきは、上司の“戦略思考”
だからぼくは、こう考えるんです。
部下の育成を考える前に、上司の“戦略思考”を鍛えるべきだと。
「なぜこの目標なのか?」
「なぜこの戦略なのか?」
「それは中計のどの文脈に紐づくのか?」
この問いに、自分の言葉で明確に答えられない上司が、あまりにも多い。多すぎる。
部下の可能性を狭めているのは、本人の力不足だけじゃない。
上司の想像力の欠如が、部下の可能性を奪っているとも最近感じるんですよね。
想像しない上司は、目標を“数字の箱”に閉じ込める。
「安全に達成できるライン」を設定し、そこに“安心”を覚える。
でも、それは成長の放棄であり、同時に部下育成の放棄でもあると思うんです。
▼「挑戦の設計」が、育成の本質
ぼくは、人を育てるとは「挑戦の設計」をすることだと思ってます。
挑戦なき目標は、ただの“作業指示”になると思っていますし、その作業指示を繰り返すうちに、若手は「考える」ことをやめる。
その瞬間、部下の成長は止まる。
結局のところ、戦略を描けない上司に、育成はできないってつくづく感じます。
▼人事・育成担当への提案
だからこそ、研修設計を担う人事や育成部門の方は、まず対象者に課せられている目標(定量目標だけではなく定性目標も)を見てほしいです。もし目標が低すぎる、あるいは粗すぎるなら、その部門の戦略を確認してほしい。
そして――もし戦略そのものが成り立っていないなら、
育てるべきは部下ではなく、上司です。
最後に
成長を止めているのは、部下のせいだけじゃない。
思考を止めた管理職だとも思います。
まあほんと、「目標設定力」が育成の未来を決めるなーって、最近、つくづく感じるんですよね。


