▼満足度をKPIにした瞬間、研修はイベントになる
結局、研修の満足度アンケートとは何なのでしょうか。
点数が低いと、人事は改善しようとします。
研修会社に要望を出し、次回は満足度を上げようとする。
でも、ぼくはずっとこの点に違和感を持っています。
研修は受講者を満足させるためにあるのではなく、
組織として、現場の行動を変えるためにあると思っています。
満足度アンケートをKPIにしている時点で、
研修は「イベント」に堕ちてしまうのではないかと思います。
人事がそれをやるのは、
経営で言えば「売上ではなく来店者の機嫌を追いかけている」のと同じだと思うのです。
優先順位が逆だと思うんですよね。
ただし誤解しないで貰いたいのは、満足度を捨てろと言っているわけではありません。
使い方が雑すぎるかなって思うんです。
▼満足度がズレるのは当然。期待がバラバラだから
満足度は、受講者が何を期待していたかで決まると思います。
そのため、ここを無視して点数だけ見ても、議論は空中戦になります。
たとえば、受講者にはこういうタイプが混在しています。
・知的な刺激が欲しい人
・日常から離れてゆるく学べればいい人
・強制参加だから目立たず終わりたい人
同じ研修の受講者間でも、期待(ゴール)が違う。
この状態で「満足しましたか」を平均点で判定するのは、計測として破綻していると感じるんです。
つまり、満足度が低いから研修が悪い、という結論は雑すぎるかなと。
測れていないものを測った気になっているだけではないかと。
▼満足度を追うと、改善はだいたい”演出”に寄る
満足度を上げようとすると、改善がどこへ向かうか。だいたい決まっています。
・負荷を下げる
・気持ちよく終わらせる
・講師の話芸を強化する
・ワークを「楽しい」に寄せる
・不快な沈黙や摩擦を減らす
点数は上がります。
でも、現場が変わるとは限りません。むしろ変わらないことの方が多いと感じています。
ここが一番まずいところです。
組織が求めているのは「いい時間だった」ではなく、翌日の現場で行動が変わることだと思うんです。
▼逆に言うと、満足度が低い研修は”悪い兆候”とは限らない
ここは意外に思われるかもしれません。
本気で現場を変えにいく研修は、一定の不満が出ることがあります。
負荷がかかる。痛いところを突く。逃げ道を潰す。実装を求める。
それは、イベントではなく「変化の介入」だからです。
なので、満足度が低いときに問うべきは、こうです。
不満は「無意味」への反応なのか。「変化の痛み」への反応なのか。
ここを分けずに改善に走るから、研修が薄まっていくと私は思っています。
▼研修をプロダクトとして見ると、KPIの順番が見える
研修をプロダクトだと思って見ると、
満足度は、せいぜい体験指標のひとつに過ぎないことがわかります。
本当に見たいのは、研修の後に現場で使われたかどうか。
思考と行動が定着したか、成果に寄与したか。
研修の評価は、この順番にした方が良いのではないかと。
1.期待の整合:受講者の期待と、組織の期待を並べてズレを見る
2.行動の定義:研修後に「何ができるようになれば良いか」を行動で言い切る
3.観測の設計:研修後に誰がいつ何を見るかを決める
4.結果の接続:成果指標に直接つながらなくても、近い代理指標を置く
満足度はこの後です。
満足度を入口に置いた瞬間、研修がイベントに堕ちると思うんですよね。
▼満足度アンケートは体温計として使う
満足度は「良し悪し判定」ではありません。
運用上の事故検知として使うのが最も有効ではないかと、ぼくは思います。
やるなら最低限これだけ。
・平均点で判断しない。層別する。
・役割、事前期待、温度感で切る。
・設問を「気分」から「有用性」に寄せる
・楽しかったかより、現場で使える形になったか。明日から一つ変えるなら何か。
・自由記述は改善要望箱として読まない
・実装を邪魔する摩擦、現場の原因・予兆を拾う。
これで初めて、満足度が意味を持つようになると思います。
▼人事が最初にやるべきことは、満足度改善ではない
最後に、ここだけは断言します。
満足度が低いから研修を変える、は一見すると良い行動に見えます。
でも多くの場合、それは研修を変えたのではありません。
受講者の気分に寄せただけです。
人事がやるべきだと私が考えるのは、
研修の”中身”の改善より先に、研修後の”接続”の設計です。
・翌日の行動を1つ決める
・それを上司が見るタイミングを決める
・組織として期待する変化とつなぐ
これがない限り、どれだけ満足度を上げても、現場は変わらないと考えます。
満足度を上げるのは、実は簡単です。
拍手が起きる研修も作れます。
でも組織が欲しいのは拍手ではないはずです。
現場で一歩進むこと。
そこから逃げない方が良いと私は思っています。


