こんにちは。スタンスの古田です。
最近、いくつかの企業さまで研修の打席に立たせていただく機会があったのですが、そこでちょっと考えさせられる「こと」というか、僕自身が揺さぶる出来事がありました。
今日はそのお話をシェアしながら、HR界隈で語られている「エンゲージメント」について、全く専門家ではない私が少し掘り下げてみたいと思います。
▼「会社のことは好きですか?」でフリーズした受講者たち
ある企業さまでの研修中、僕は受講者の皆さんに、本当にふとした思いつきでこんな問いを投げかけてみたんです。
「皆さん、ふと僕の頭の中でよぎった問いが浮かんだんだけど、それを聞いてもいいかな?ストレートに聞くけど、自分の会社のことは好きですか?」
その瞬間、部屋の空気がピキッと凍りつきました。何人かの受講者の思考が、文字通り「完全にストレートでフリーズ」したのが目に見えて分かったんです。
後からじっくり声を聴いてみると、彼らの本音はこうでした。
「いや、一緒に働いている仲間は最高だし、毎日の仕事も苦ではないんです。でも、胸を張って『会社が好きだ!』『会社のために!』とおもっているかというと……そこまでの熱量はない。そんな自分は会社が好きだと言えないんじゃないか、って迷っちゃって」
なるほど。
また別の企業さまで研修をしたときは、全く違う熱量が生まれていました。
そこでは受講者たちが「自分が本当にやりたいことって何だろう?」「この組織でどんな思いを形にしたいか」を語り合い、個々の『思いの方向性や強さ』を大切に育んでいこう、という前向きなエネルギーが渦巻いていたんです。
この2つの鮮やかなコントラストを目の当たりにしたとき、僕の脳内で一つの問いが生まれました。
「そもそもエンゲージメントの本質って、一体何なんだ?」
▼「部分最適のぬるま湯」という罠
よくある教科書的な話だと、エンゲージメントを高めるために「人間関係を良くしよう」「福利厚生を充実させよう」「報酬を上げよう」なんて言われますよね。
もちろん、それらは全部大事です。人間関係も、仕事内容も、制度も、組織文化も、全部地続きで繋がっています。だけど、どれか一つだけを切り取って「部分最適」に走った組織は、大抵おかしなことになっているような気がします。
・人間関係だけをリッチにする:仲が良く本音を語れるのは素敵だけど、ただの「傷の舐め合い」や「ぬるま湯(現状維持バイアス)」になって、誰も高い目標に挑まなくなる。
・報酬を維持するだけ:「お金をもらえるから働く」という Doing(作業) の関係性だけで終わってしまい、会社のピンチに誰も踏ん張らなくなる。
・やりたいことにチャレンジさせない:「君の思いを大切にしよう!」と綺麗事を言いながら、実際の主担当領域以外の変革には一歩引かせたままにする。
・口先だけのチャレンジ精神:「失敗を恐れるな!」と経営陣が叫びながら、組織風土や評価制度はガチガチに保守的で減点主義になっている。
これら、いまいちっすよね。不純物が混ざりまくって不整合を起こしています。
▼ 清濁あわせ呑んだうえで、「それでも好き」と言える覚悟
じゃあ、完璧で、不満が1ミリもなくて、全員が聖人君子みたいな「ホワイトすぎる会社」を作ればいいのか?
……いや、そんな会社、この世に存在しないでしょ(笑)。
どれだけ良い会社だって、理不尽な指示命令はあるし、難しい顧客もいるし、システムはたまにバグるし、社内とのコミュニケーションコストに白目をむきそうになる日だってあります。
でも本当のエンゲージメントって、会社の綺麗なところだけを愛することじゃない。組織の矛盾や、ドロドロした現場の課題、自分の思い通りにならない現実といった「清濁」をすべてリアルに味わい、自分の胃袋でグッと飲み込んだうえで、「……あー、色々あるけどさ。でも俺、やっぱりこの会社が好きなんだよね」とかを心のどこかに思っていて、ニヤニヤしながら言えることなんじゃないか、って。
エンゲージメントに関しての素人の僕が今回、受講生たちの葛藤を聴きながらたどり着いた結論はこれです。
完璧じゃないからこそ、「じゃあ、自分というリーダーがここからどう関わって、この組織をマシにしてやろうか」という主観的な覚悟やスタンスが生まれる。スキルが多少未熟だって、その思いのベクトルと熱量さえあれば、人間は勝手に自己研鑽を始めて化けてくんだろうと。
迷いながらも自分の本音にチューニングを合わせようとしている受講生の皆さんを思い浮かべながら、「彼らがここからどう化けてくるか、次回の会がめちゃくちゃ楽しみだな」と、いま僕自身が一番ワクワクしています。


