▼研修後のアンケートは、ぼくにとって大事な事後データです
先日、ある企業で担当した若手向けの研修のアンケートを読み込んでいました。
回答は40名ほど。学びの度合いや講師の進行についての5段階評価と、
いくつかの自由記述で構成されたものです。
ぼくは毎回、このアンケートをかなり丁寧に読みます。
前回のブログで「研修は実施した日がゴールではなく、そこからが本番」という話を書きましたが、
アンケートはその「本番」の入口にある、最初の事後データだと思っているからです。
自分の設計が、どこで効いて、どこで効かなかったのか。それを教えてくれる材料として読む。
で、今回もじっくり読んでいたんですが、
読み終えて、自分の仕事の輪郭が思っていたものと少し違うことに気づいたんです。
今日はその話を書いてみたいと思います。
▼最初に引っかかったのは、2つのスコアの関係でした
数字としては、「学び・気づきがあったか」も「講師の解説や進行はどうだったか」も、
4.4〜4.5あたり(5点満点)。ありがたいことに、悪くない数字でした。
ただ、ぼくが引っかかったのは点数の高さではなくて、
「学び」のスコアのほうが、「講師」のスコアよりわずかに上に出ていたことなんです。
普通、この2つは連動します。講師が良ければ、学びも高くなる。
でも今回は、講師への評価より、受講者自身の学びのほうが高く出ている。
なぜだろうと思いながら自由記述を読み進めていくと、
その理由らしきものが、だんだん見えてきました。
▼記憶に残っていたのは、ぼくが解説したパートではなかった
自由記述の中に、「最も学びが大きかったプログラムはどれか」を聞く設問がありました。
ここで多く挙がっていたのは、ぼくが解説をしたパートではなくて、
受講者同士が対話しながら、自分の課題と向き合っていくワークでした。
次いで多かったのも、同期同士で問いをぶつけ合う時間。
上位はほぼ、受講者が自分の頭で考え込んだ時間だったんです。
理由の書かれ方も印象的でした。
一人で振り返ると、自分の課題からつい目を逸らしてしまう。
でも他者から質問されると、自分でも気づいていなかったことに触れてしまう。
相手への問いを考えていると、逆に「自分が聞かれたら困ること」が見えてくる。
そういう趣旨のことが、何人もの回答に、それぞれの言葉で書かれていました。
正直に言うと、ぼくは解説パートにも相当の準備をして臨んでいます。
でも、受講者の記憶に残っていたのは、ぼくが話した時間ではなく、
彼ら自身が考え込んだ時間だった。
ここだけ切り取ると、
「じゃあ講師の解説なんて要らないのでは」という話になりそうですよね。
でも、アンケートはそう言っていなかったんです。
▼「考え込めた」理由は、ワークの前にあった
講師の進行を評価してくれた理由の欄を読んでいくと、ある共通点がありました。
一般論ではなく、講師自身の考えや解を、具体的に示してくれたこと。
それも、その会社の経営計画や事業を深く理解したうえで、
「ぼくならこう解釈する」「本質はこうだと思う」という形で示していたこと。
ここに触れた声が、はっきりと複数あったんです。
丸暗記するだけだった自社の方針が、講師の解釈を通してストーリーとして理解できた。
講師の答えが用意されていたから、参考にしながら自分の考えをつくれた。
多くの企業を知っている外部の人間だからこそ、自社の強みと弱みを具体的に示してもらえた。
そういう趣旨の言葉が並んでいました。
これを読んで、ぼくの中で線がつながったんですよね。
受講者が深く考え込めたのは、ワークの設計だけの力じゃない。
その前に、具体的な足場を渡していたからなんです。
たとえば「自律とは何か、考えてみましょう」とだけ投げられても、人は考え込めません。
抽象的な問いの前で、思考は空回りする。
でも、「ぼくはこう考える。この会社の戦略に照らすと、こう読める」
という具体的な解がひとつ目の前にあると、
人はそれを足場にして、「自分の場合はどうか」「本当にそうか」と、自分の考えを組み立て始める。
答えを示すと考えなくなる、とよく言われます。
でも、たぶん逆なんです。具体的な解があるから、人は深く考えられる。
▼点数と、言葉が、一致していないことがある
もうひとつ、これは書いておきたい発見がありました。
講師評価で、真ん中の点数をつけた方が数名いました。
数字だけ見れば「改善点あり」と読める部分です。
ところが、そのうちのお一人が理由欄に書いていた内容を読むと、明確に肯定的なことが書かれていたんです。
しかも、まさにさっきの「講師の考えが入った答えを示してくれたこと」を、良かった点として具体的に挙げていた。
点数は真ん中。でも、言葉は肯定的。
ぼくは以前、「研修満足度をKPIにした瞬間、研修はイベントになる」というブログを書きました。
点数だけを見ても議論は空中戦になる、という話です。
まさか自分のアンケートで、その実例に出会うとは思っていませんでした。
点数だけ見ていたら、ぼくは「この方には響かなかったんだな」と誤読していたはずです。
数字は入口であって、答えじゃないんですよね。
▼「難しかった」は、悪い評価とは限らない
「理解しづらかった内容」を聞く設問では、一番深いところを扱ったワークに声が集中していました。
自分は何者で、これからどう変わる必要があるのか、という答えのない問いを扱う時間です。
ここは設計上の反省もあります。考える時間の確保や、問いの支え方には、次回に向けて直すところがある。
ただ同時に、高い評価をつけた方の理由欄には、
「難しかったから退屈しなかった」という趣旨のことも書かれていました。
難しさが、不満の理由にも、評価の理由にもなっている。
だからぼくは、「難しかった」という声を、そのまま「易しくしよう」に変換しないようにしています。
問うべきは、その難しさが無意味な難しさなのか、変わるために必要な難しさなのか。
そして後者なら、易しくするのではなく、考えるための足場をもっと丁寧に渡す。
それが正しい改善だと思っています。
▼で、結局ぼくは、どういう講師なのか
アンケートを読み終えて、自分の仕事をこう言い直すのが一番正確だなと思いました。
ぼくの仕事は、知識を教えることではなくて、
その会社の文脈で具体的な解を示し、それを足場に、受講者が自分の答えを考え始める場をつくることです。
一般論を渡すだけなら、本やAIで足ります。
逆に、問いだけ投げて「さあ考えて」と突き放しても、思考は深まらない。
その間にある仕事——事業と経営計画を読み込んで、
自分の解を持ち込み、受講者一人ひとりの反応を見ながらフィードバックを返していく。
ここに、外部講師としてのぼくの存在意義があるんだと、受講者の言葉から教えてもらった気がします。
そしてこれ、事業をつくる仕事とまったく同じ構造なんですよね。
抽象的な戦略だけでは組織は動かなくて、
具体的なプロダクトや判断基準を示すから、現場が自分で考えて動き出す。
研修も、同じでした。
▼最後に
アンケートは、褒め言葉を確認するためのものではなくて、
自分の設計がどこで効いたのかを教えてくれる事後データです。
今回ぼくが受け取った一番大きなメッセージは、これでした。
「具体を示すから、人は考え始める」
答えを渡すことと、考えさせることは、対立しない。むしろ、順番なんですよね


